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秘本衆道会
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プロ(笑)

2010年9月現在、「衆道」というキーワードでグーグル検索すると、最初のページで




近世ニッポンは、男色天国♪ 歴史の授業で習えなかった同性愛




なる記事が紹介されます。


検索結果の中でもかなり上位に陣取っているので、2004年の公開以来、よほど多くの人の目に触れてきたんじゃないかと。

(2012年5月・追記。上掲リンクの本来の行く先が消滅していたので、webarchiveの記憶に繋ぎ直しました)

この記事の作成者は、自らもまた同性愛者だと公言しています。

こういうものを書いた目的も、いわゆる「ゲイリブ」の一環だと思われるのですが……








ぶっちゃけ、





こんな嘘八百のヨタ話で、世間を騙してんじゃねえ!




って、言いたいですね。


ホモのくせに、ホモの歴史をあまりにも知らなすぎる……







以下、上掲リンク先がいかに杜撰な内容であるか、ちょいと検証していきます。


なお、リンク先からの引用文は青い文字で表記します。









江戸時代なんかじゃ、アナタ、「陰間茶屋」というウリ専バー(男娼による売春宿ですね)が11軒もあったし、


「江戸時代」と一口に言っても、その実は約260年の長きに渡ります。

ここで挙げられている「11軒」という数字は、その内どの時点の、どこの場所におけるものなのでしょうか。

そのあたりのことが不明瞭。


ちなみに平賀源内の書いた男色売春街ガイドブック『男色細見 三の朝』によると、18世紀中ごろにゃ、江戸市内だけでも「50件以上」の陰間茶屋が存在したことが分かります。












空海(774~835)


唐から日本へ衆道を持ち込んだという説の根強い、ニッポン衆道の元祖・弘法大師。鎌倉末期の随筆『徒然草』にも、54段に「御室の稚児を誘い出す法師」として描かれてマス。


ここまで壮絶な大間違いを繰り出されると、さすがに気絶しそうになりますね。

しかし萎える気力を振り絞って、なんとかキーボードを打ちます。


ええとですね、そもそも『徒然草』の54段には弘法大師の名前なんか全くでてきません。

また、その冒頭を引用しますと、



御室にいみじき児のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて……



なんですが、この「御室」というのは「仁和寺」の美称です。


そして、仁和寺が創建されたのは仁和4年(西暦888年)。

空海が亡くなったのは、承和2年(835年)。



あと、「空海=ゲイの元祖」説の真偽については、弊ブログでも以前に書いたことがあるので 、お時間のある方はそちらもご参照されたし。













武田信玄(1521~1573)


「唐甲陽軍鑑」などによると家督直後の数年間に信玄は男色に耽りすぎて「仕事しろ」と家臣にたしなめられたみたい。


武田家のエピソード集っつったら、『甲陽軍鑑』です。

その頭に『唐』という謎の文字が添えられているのは、どういう意図によるものなのか。













上杉謙信(1530~1578)


敵に塩を送る清廉な勇将というイメージの謙信。「生涯、女犯はしない」と誓願を立てて妻を娶らなかったのですが、美貌の小姓を常にはべらせていたとのこと。直江兼続がお相手としては有名でヤンス。


何が「ヤンス」だなめてんのかコラ。


謙信×兼続のカップリングが史実「ではない」という件についても、当方は以前に書いております
手前味噌ながら、そちらもご一読いただきたく。











ふつう美少年といえばジルベール(古い)みたいな、やおい系の方々が黄色い声を上げそうな細く女顔の華奢な少年を思い浮かべるのですが、室町時代の男色絵巻である「稚児草紙」の何点かの作品を見てみると、ちょっとイメージが違うんです。


ここで言う「稚児草紙」とは、醍醐寺所蔵のショタエロ絵巻物につけられた通称です。

しかし、それは「写本」であり、オリジナルはすでに散逸しています。


で、その醍醐寺版の巻末には、



「元享元六十八書写訖」


(元享元年6月18日に写し終わる)



と、書いてあります。


元享元年=西暦1321年です。


……まだ鎌倉幕府が存続している頃を指して室町時代と呼ぶとは、なんとも新しすぎる歴史観ですねえ。












(『稚児草紙』の挿絵を見て)


ガチムチ以上ぢゃんけーーーッ!!

なんですか、このガッチリした肩は!厚い胸板は!でかいポコチンわッ!
とても、華奢でスラリの美少年とは思えん(色白でモチ肌っぽいが)。



この後、いかにも『バディ』あたりのゲイ雑誌のグラビアにありがちな「スジ筋」体型の写真を挙げ、過去における「美少年」の定義について



こういうカンジに近いんじゃないかな(っつーことは、現代のモテ筋とアンマリ変わらない?)。。。



という仮説を立てています。



極めて主観的な論拠をもって語ってくれてるので、こっちもやっぱり印象論で言いますけど、あの絵は当方の目にゃ、



「サムソン系」



に見えますです。


「ガチムチ以上」つーか、単なるポチャじゃん。




それはさておき、資料的な反証だって可能ですよもちろん。
例えば13世紀ごろに成立したと見られる『小芝垣草紙』なるエロ絵巻物と対比してみましょうか。


そこに出てくる「美女」の裸体は……





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(福田和彦著『艶色説話絵巻』より、元の画像から一部を切り取ったかたちで引用しています)



こんな感じ。

つまり『稚児草紙』の少年たちは、当時の基準において極めて「女性的」な体型に描かれているのです。


だいたい13~14世紀ってのは、『義経記』に登場する遮那王(源義経の幼名)のごとき「闘う美少年」ですら、



玄宗皇帝の代なりせば楊貴妃とも謂ひつべし。漢の武帝の時ならば李夫人かとも疑ふべし。



とか形容されちゃう時代なんです(そのあたりの事情については、またしてもテメエの文で恐縮ながらこちら にて詳しく書いておきました)。




「オンナっぽい」顔つき・体つきの定義については、確かに時代によって差異があります。

しかし「中世の美少年」に対し、いかにも「現代のゲイ」に受けるような「オトコらしさ」を求めるのが無理な話だってのは、これでほぼ立証できたかと。












思いつきで言ってますんで、あんまり真に受けないでネ。


言われなくても。

いちいちムカつく文を書く人だよなあ、ほんと。











以上、長々と叩いてきた記事は、「オールアバウト」 というサイト内のコンテンツです。


で、そのオールアバウトさんの看板には、



その道のプロが、あなたをガイド



なんて頼もしいフレーズが堂々と大書されている。









ふーん。










『徒然草』という、全国どこの図書館にでも置いてあるような資料すら確認できない人が、読者を「ガイド」するどころか「路頭に迷わす」ような文章を売って日銭を稼いでいるんですから……




本朝における「プロ」ってなぁ、実に安くなったもんです。


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by hihonsyudo | 2010-09-05 20:48 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
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