平成27年5月4日に発行した
『あの刀の記憶・壱』
の「初版」において、筆者の誤った資料解釈により不正確な情報を書いてしまった箇所がございました。
つきましてはそちらをお持ちの方に対し、文中の修正すべき点を以下のようにお伝え申し上げます。
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7ページ
×修正前
ここで初めて「海浦の剣」という表現が出てきました。すなわち、「小狐」のどこかには海岸の風景を描いた装飾が施されていたのでしょう……ただし、それが柄なのか鍔なのか鞘なのか、具体的な箇所までは分かりませんが。
また「故殿(=亡くなったあの方)」の指すところも曖昧ながら、とにかく保元の乱のゴタゴタの後、「前の摂政家(=頼長らの家)」にあった「小狐」は不幸中の幸いにも失われることなく兼実に継承されており、しかも「先例」の通りに春日詣の場にまで堂々と連れて行ってもらっていたんだよ! ……っと。
そんなわけでこの世の絶頂を味わっていた兼実ですが、建久7年(1196年)になるとお約束の政治闘争に敗れて失脚してしまいます。そして恐らくはその頃、「小狐」の所有権はまた別の権勢ある家へと移って行きます。
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○修正後
こちらの現代訳としては「(小狐の代わりに)海浦の装飾を施された剣を帯びる。この剣は、亡くなった我が父・忠通よりいただいたものである。先例では、春日参りの際には必ず小狐を用いていたものだが……現在、それは自分の前に摂政を務めていた『近衛基通』の家にあるのだ」と、なります。つまり保元の乱によって頼長の家が滅茶苦茶になった後も、不幸中の幸いにして「小狐」は失われることなく、今度は別の一族……すなわち近衛家によって保管されるようになっていたようなのです。
なお上掲文に出てくる「前の摂政」=「基通」とは、兼実から見て甥にあたる人物です。またこの頃、基通および彼が属する近衛家は、政治的に兼実と対立していました。兼実が人生のビッグイベントにおいて「必ず用ゆ」べき小狐を借りる事ができなかったのは、恐らくそのためではないかと思われます。
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7ページ
×修正前
ちなみに家実は、兼実の異母兄弟である「近衛基実」に連なる系譜の人物であり、さらに彼の父である「基通」は、建久7年の政変によって九条兼実と入れ替わりに関白の座に就いています。「小狐」が九条家から近衛家に渡った経緯も、たぶんその辺りに関係があるんじゃないかなぁ……と、思いますです。
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○修正後
(不要の文章であるため、丸ごと削除)
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8ページ
おっと、最後にはまたしても「小狐」の外見に関わる情報が出ていますね。
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おっと、最後には「小狐」の外見に関わる情報が出ていますね。
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以上、『あの刀の記憶・壱』初版をお買い上げいただいた皆様には、こちらの不手際によりご迷惑をおかけしてしまったことをお詫び申し上げます。
また今後、
当方がサークル参加する各種同人誌イベントの会場まで『あの刀の記憶・壱』初版をご持参いただいた方には、そちらと同書の最新版とを無料で交換させていただきます。
ただしその場合、
交換用の余部をあらかじめ確保しておく必要がございますので、お手数ながらいらっしゃるイベントの前日までに
メール(hihonsyudo@yahoo.co.jp)
あるいはツイッター(@hihonsyudo/@syudo_bot)でのDM
などにてお越しの旨をお知らせいただけましたら幸いです。
なお、もし交換ご希望ながらも各種イベント会場に直接いらっしゃることが難しい方がいらっしゃいましたら、個別に応対致しますので、やはりメール・DMなどにてご相談いただきたく併せてお願い申し上げます。
恐懼平伏。