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秘本衆道会
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「男の娘」立国! 日本の自叙伝

ここ最近、オタク系ニュースサイトを見て回っていると、「男の娘」なる言葉を頻繁に目にするようになりました。



例えば「アキバblog」 の過去ログを検索してみた結果が、こちら

すごいことに、なっております。


また、事態は二次元にのみ限った話ではありません。

昨年5月にゃ、三次元の美女装子が接客してくれるカフェ なども登場したぐらいでして!



「オンナノコっぽいオトコノコ萌え!」というジャンルは、秋葉原界隈にもじわじわと浸透しつある模様。


ですが、海外のオタクからはこのような声もあるようで……



男の娘に半狂乱な外国人


中国オタク的にオトコの娘マガジンはさすがにまだキツイらしい




ふむ。

「不思議の国ニポン」の本領発揮!ってところですな。

なんかもう、「他者の理解を絶する」ことこそ日本文化の本質だという気がして参ります。



ところで、下のほうのリンク先に、



小日本のやつらがまた新たな歴史を創造しやがった!



という中国オタのコメントがありますが……いやいやなんの!



本朝において、この手の現象は数百年以上も前から繰り返されているのです。


ぜーんぜん「新たな歴史」なんてものじゃないんです。

むしろ先祖がえり?みたいな。




と、まあ。

当ブログを以前からお読みいただいている方、および弊サークルの本を以前より買ってくださっている方には耳タコだとは思いますが、本日はそんな「男の娘ブーム」の歴史について、改めてまとめてみようかと。






そもそも古来より、日本の上流階級が好む「美少年」ないし「美男子」は「中性的な容貌」をしているものだと、相場が決まっています。





『古事記』や『日本書紀』において、勇者ヤマトタケルは女装することで紛うことなき「美少女」となり、見事にクマソを欺きます。

たぶんこれが、美女装子にまつわる本朝最初のエピソードではないかと。






『源氏物語』の主役である光源氏は、作中でことあるごとに「ありえないほどイケメン!」だと強調される存在です。

そのヤバすぎる容貌を語る美麗レトリックは数あれど、例えば『紅葉賀』の巻では、「兵部卿宮」というキャラが以下のような感動を吐露しています。



この御さまの常よりことになつかしううちとけたまへるを、「いとめでたし」と見たてまつりたまひて、婿になどは思し寄らで、「女にて見ばや」と、色めきたる御心には思ほす。

(今日の源氏きゅん、なんかいつもより親しみやすい雰囲気でかわいいなあ。マジ萌えるわ。自分の娘の婿ではあるけど、もし源氏きゅんが女で、しかもイチャイチャできたなら……どんなに幸せだろうなあ……)






痛快アクション古典『義経記』には、幼少期の源義経が8人の盗賊とバトルするシーンがあります。

その時の義経は、正体を隠すために女装しているのですが、



玄宗皇帝の代なりせば楊貴妃とも謂ひつべし。漢の武帝の時ならば李夫人かとも疑ふべし。



と、歴史的美女たちが引き合いに出されるほどにキマっている「男の娘」として、持ち上げられています。


対する盗賊たちも、



女かと思ひたれば、世に剛なる人にて有りけるものを



なんて驚きまくり!


恥ずかしながら当方も、この下りを初めて読んだ時にゃ、思わず「うおおおおお!」と叫んでしまいましたよ。


屈強な無法者の集団を、妖艶なる女装美少年が華麗な剣さばきでバタバタと切り倒していく……


うあー、アツすぎる!

このあたり、なんとなく現代の「男の娘萌え」属性を持つオタにとっても色々訴えかけるものがあるんじゃないかと。






室町時代は、貴族たちがリアル美少年を愛でまくっていた時代でした。

能楽の大成者である世阿弥もまた、若い頃は大層な美少年で、将軍義満をはじめとする多くのショタコンどもから想いを寄せられていた模様。

時の関白たる二条良基は、少年世阿弥の舞台を観た感想を、以下のように書き記しています。



此児の舞の手づかひ、足ぶみ、袖かへしとさま、まことに二月ばかりの柳の風になびきたるよりも、なをたおやかに、秋の七草ばかり、夕露にしほれたるにもまさりてこそ候らめと見えて候



で。

同じ書状において、そんな少年世阿弥の美しさは、『源氏物語』のメインヒロインである「紫の上」および中国史を代表する美女たる楊貴妃」になぞえられているのです。







以上、奈良~室町時代における「男の娘だいすき! わぁい!」な例をご覧いただいたわけですが、これらの価値観を担っていたのは、あくまで貴族を中心とするハイソサエティー層です。

果たして名も無き民草たちの間にも、同様の「属性」が流通していたかどうかについては、資料不足につき判断がくだせません。


では現代のように、庶民レベルでも「女装少年ラヴ」が広く叫ばれるようになったぜ! ……と明確に断定できるようになるのはいつ頃かと言うと、ズバリ17世紀に入ってからです。



江戸時代初期。

いたいけな女装少年たちに歌や踊りのパフォーマンスをさせ、ついでにショタコン相手に下半身関係のウリもさせるという「若衆歌舞伎が大流行しました。

今でも、歌舞伎の舞台には「女形」という大変に倒錯した役が登場していますが、そいつぁ遥か過去に実在した非道の名残なのです。


ゆえに当時は、「大人の男×男の娘」シチュの「あぶな絵」もまた、結構な数が描かれました。

そういう作品の実例を、ぜひともお目にかけたいところでありますが……


無念ながらアメブロ利用規約にひっかかるような画像ですので、ここではちょっと載せることができません。


どうしても見たい!という向きは、白倉敬彦先生の大名著・『江戸の男色』(洋泉社新書)あたりをご参照くだされ。

モロでエロなショタ絵の数々が、無修正のまま大量に収集されていますよって。










かつての日本じゃ、政治のトップ層や筆力すぐれる知識階級の間ですら、かくも「男の娘」が愛されていました。

また、せいぜい300年ぐらい前までは、三次元の女装少年を抱ける場所が江戸や大阪などの大都市中に存在していました。



もし。

今の秋葉原に横行する「二次元庶民文化」をチラ見してすら怖気に見舞われる海外OTAKUたちが、上記のごとき歴史を正しく知ってしまったなら……



どれだけの大パニックが起こるんでしょうなあヌヒヒヒ!



つーわけで、語学力に優れる方々にお願いです。

ぜひこの記事を各国語に訳し、ワールドワイドに紹介しまくってくださいな、っと!


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by hihonsyudo | 2010-08-25 22:05 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
ミステリー・オブ・壇の浦

コミケに参加された皆様、まことにお疲れ様でした。

ビッグサイトがまるごと蒸し風呂と化した、あの劣悪な環境下、わざわざ弊サークルまで足を運んでくださった方々には……



毎度ながら感謝しまくり!


です。



「はじめまして」の方も、「おひさしぶり」の方も、果たして当方の本はお楽しみいただけましたでしょうか?


しばしなりとも炎暑を忘れられるような、愉快な気分をプレゼントすることはできましたでしょうか?


同人屋の本懐とは、まさに読者の笑顔にこそあり。

もし「このサークルは阿呆なことばっか書いてるやがるよなあウヒャヒャ」と珍奇がっていただけたなら、それは当方にとって無上の喜びでありますです。





さて。

イベント参加の楽しみは、本の売買のみならず、同好の士とリアルに語らいあうことにもあります。


先日のコミケにおいても、色々とレアな情報を交換しあう機会が多く得られました。


で。

とある来訪者の方とは、いわゆる「壇の浦もの」についてトークしたり。
そういう、今となってはほぼ忘れられたタイトルについて語り合えるたぁ……予想外の椿事!


コミケという巨大な「出会い」の場には、まこと感謝するばかり。



あ、ちなみに「壇の浦もの」ってのは何かと申しますと、すばりエロ小説のことです。
平家滅亡の一戦である「壇の浦の戦い」の前後を想像して書かれたもので、成立時期はおそらく江戸後期。

これ以上の情報については、



閑話究題 XX文学の館  



という素晴らしすぎる秘本研究サイト様の、



秘本縁起 「壇ノ浦」もの



というコンテンツにて詳述されていますので、是非ぜひ!そちらもご参照いただきたく。




上掲リンク先でも知れるように、この「壇の浦もの」に属するタイトルは、例えば『源平情史』とか、『壇浦快戰記』とか、『壇の浦夢物語』とか、とにかくやたらたくさんある。
どれも題名こそ違えども、扱うカップリングが「源義経×建礼門院徳子」という点は共通しています。


このうち、当方が所持しているタイトルは『源平盛衰記・壇の浦戦記』です。
『日本珍書復刻集』という、出版年不明の怪しい小冊子(たぶん昭和20年代あたりの地下出版物)に収められているのですが、そのまえがきにおいて、正体不明の編者いわく



「壇の浦」と称する猥本が沢山出て居る私の知って居るものでも十二種からあつた


(注・途中で読点が抜けてるっぽい箇所がありますが、原文ママです)



っつーわけで、この「壇の浦もの」というジャンルは、江戸時代の人々の間では結構な人気だったのではないか!


と、当方は思っておりました。


それでまあ、8月15日のコミケにおいても、


「当時における『壇の浦もの』の位置は、現代オタク界における『けいおん!』のごとし!」


なんて力説したりもしました。

今のオタクがこぞって『澪×律』にMMQであるように、昔の戯作者たちも『義経×徳子』にハァハァしまくってたんだよなんだってー!


みたいな。





しかし。

ところが。


秘本縁起 「壇ノ浦」もの



において紹介されている各書の画像を眺めているうちに、ひとつの恐るべき事実に気づいてしまいました……


すなわち……







表紙とタイトルは別物なのに、中身が全く同一の書がたくさんあるじゃねぇか!






ぎゃー!



先ほど申しました通り、当方の手元には『源平盛衰記・壇の浦戦記』があります。
その書き出しは



平軍悉く潰ゆ。源廷尉已に乗余の在る所を知り、軍を合せて疾く攻む。



です。
この後、入水自殺を試みて果たせなかった徳子が、義経に「こんなところで死んだらもったいないぜベイビィ! がんばって生き延びて、俺といっしょに楽しいコトしようぜ!」と慰められ(口説かれ)るわけですが……


そのあたりの文章が、『六法戰術』や『壇の浦夜合戰記』と完全に一致してるんですよ。

たぶん、その後のページも同じ文章がヅラヅラ続いているんでしょうなあ……


また漢文で書かれた『壇浦快戰記』も、書き下し文にしてみれば、やっぱり上記3冊とピッタリ相似を成す……っぽい。


さらに『はつはな』の文章は、『源平盛衰記・壇の浦戦記』などのグループとは違った始まり方をしてはいるものの、また別の『平大后快話』なるタイトルとは非常によく似ている。




はてさて?
これは一体、どういうことなんじゃろか?



「壇の浦もの」のタイトルとして最も有名なのは『壇の浦夜合戦記』なんですが、(何度も引き合いに出して恐縮ながら)『XX文学の館』 内の



「壇ノ浦」 公刊本編



によれば、それは戦後になってから考案された題らしく。


つまり、原題不明なオリジナルの文章に対し、後世の人間が好き勝手にバラバラなタイトルを付けたんじゃないか説。
ちくしょー、なんて紛らわしいことしやがんだカストリ業者ども!



ゆえに当方、つい先ほどまで、それぞれのタイトルについて中身もまた別モノだと思い込んでしまっていたわけで。

いやー間抜けの親玉!



そんなこんなで。
上述のごとき「ジャンル冊数の水増し」が行われてきた以上、「壇の浦もの」が本当に『けいおん!』レベルの巨大ジャンルであったかどうかについては、より一層の調査を経た上でなければ結論を下せません。



ここをご覧になっているかどうかは分かりませんが、コミケでお会いした「壇の浦もの」ファンの方には、不確かな情報を喋ってしまったことをお詫び申し上げます。



また「壇の浦もの」に関して、「他にもこんなバリエーションを知っているよ!」という方がいらっしゃいましたら、色々ご教示いただければマジ幸甚です。


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by hihonsyudo | 2010-08-16 23:28 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)