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秘本衆道会
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「振袖」と「垂髪」

先日のサンシャインクリエイションにて「メディアコンテンツ研究会」様のスペースにお越しいただいた皆様、まことにありがとうございました。

遅ればせながら厚く御礼申し上げます。


あの場にて頒布された新刊『SUB&MINOR』は、最近の秋葉原界隈を賑わすアレやコレを深く理解するための資料として、きっと皆様の知的好奇心に響きまくる一冊だったことと思います。

同サークル様は今後も様々なイベントに参加されるとのことなので、今後とも是非ご注目いただきたく。



さて。

以前から宣伝しまくっている通り、上記『SUB&MINOR』には当方も寄稿しておりまして、日本の文学史上における「女装少年」の価値について語らせていただきました。

で、そのうち江戸時代の「若衆」を説明する箇所で、


振袖姿の少年たちが演じる「濡れ場」……


云々と書きましたが、これはちと誤解を招く表現でした。


なぜなら……

今でこそ「振袖」イコール女子のみに着ることが許された服装だとみなされていますが、当時の人にとっては決してそうではなかったからです。


つまり江戸時代の少年が振袖を着ていても、「男の娘」には当たりません。


そのあたりにの事情に関する詳細は、国立歴史民俗博物館の公式サイト内にあるこの記事 が参考になります。

リンク先の文末では、


>華麗な振袖を身にまとった色白柳腰の美少年は、女性化した少年とか女性の代替などと評されることがある。しかし、それは男女を二分する見方にあまりにもとらわれ過ぎているのではないだろうか。


>子どもを男女で二分することは、それ以外の性のあり方である若衆を消すこととなるだろう。


と喝破されていますが、いやはや当方もまた、無意識の内にそういう現代的な価値観を持ち出してしまっていたようです。

汗顔しつつ、訂正とお詫びを申し上げます。



もうひとつ。

字数の制限により、寄稿した文中にゃ盛り込めなかった「男の娘」ネタを。


平安~鎌倉期は、僧侶による「ショタ趣味」が横行した時代でもあります。

寺の中に住まわされ、僧侶たちの生活の世話をしていた稚児は、時おり「性欲のはけ口」としても利用されていました。


醍醐寺の三宝院が所蔵するショタコン向け絵巻物(いわゆる『稚児草紙』)などに見られるように、その頃の「稚児」は、「オンナ」らしい長髪を背中に垂らした姿に描かれることが圧倒的に多いです。


この習慣は山門中のみならず、武家の侍童などの間でも同様だったようで、男色文化研究の大家である岩田準一によると、当時は「少年」一般を呼ぶ上で「垂髪」という代名詞が広く使われていたそうです。

つまりその頃の男児には、水干や直垂など「オトコノコ」らしい服装に「オンナノコ」らしい髪形を戴くという、実にちぐはぐなファッションが求められていたというわけで。

ここで私見を述べさせていただければ……



かくなる倒錯した風習が自然に出来上がったのは、貴族・僧侶・上級武士など昔時の男性中心ハイソサエティー層内に、「男の娘」への「萌え」を抱く人が多かったからこそ!

……なのではないか、と!


つーわけで「わぁい!」 属性をお持ちであるオタの皆様、どうぞ現代俗世間の白眼視などお気になさいますな!

むしろ皆様方こそ、本朝の「雅」なる文化を正統に後継していらっしゃいますゆえ!




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by hihonsyudo | 2011-04-20 23:35 | 同人誌・記事の補遺 | Trackback | Comments(0)
笑いは世界を救うッス!

かぁぁぁぁぁっっこいいぃぃぃぃ!


惚れちゃいそうだぜ、
















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マック赤坂ァ!



唯一神・又吉や中松サギ郎などと並ぶ泡沫界の勇者、懲りずに都知事選に見参2011!
こいつぁ春から縁起がいい……のか?


とまれ。
「スマイル党」なる謎の組織の公認候補として立ち上がり、日本全国を笑顔で埋め尽くそうとする心意気(だけ)は美事。
その凄絶なる能天気パワーにゃ、いやもう只々、頭が下がるばかりです。


しかし。
彼に先駆けること遥か以前、20世紀の前半にも、ほぼ同様の脳内お花畑理論を説く傑物が存在していましたのですよ実は!


本日はしのびよる桜前線の気配を感じつつ、気まぐれにその人の著作を紹介してみようかなー……っと。







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これは、今からだいたい80年ほど前に発行された『ニコニコ風景図鑑』というタイトルの本です。
ページをめくってみれば、




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ってな具合に、全国各地の退屈な風景写真がズラズラ並べられている。
で、その合間合間には、なぜか……




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幼児たちの幸せなニコニコ笑顔の群れ。


まったくもってコンセプト不明の一冊でありますが、これを世に出した張本人の名を牧野元次郎と言います。


彼は協和銀行の創業者で、当時を代表する資産家のひとりでした
同時に、七福神メンバーの大黒天を篤く信仰しており、その福々しい笑顔に深い敬意を抱く人でもありました。


そんなわけで。
牧野は「ニコニコ主義」という独自の理論体系を編み出し、「笑顔」の生み出すパワーの素晴らしさについて、広く世に向けて訴えるようになります。
まあ現代でも、例えば船井某とか稲盛某とか、ああいう類の「ビジネス勝ち組」がドヤ顔で自己啓発運動にお勤めあそばされていらっしゃいますが、そんな流れのハシリでもあるかと。


上掲『ニコニコ風景図鑑』の中にでも、当然そんな牧野の熱き想いはじっくりと語られています。
以下、少しばかり引用。




「ニコニコ主義とは唯表面の愛嬌といふことではない、心からのニコニコで、心に一点の邪念が無く、私といふ心がなく、真心ばかりである時に、初めて真のニコニコが顔に現はれて来るのである。媚を売るために無理にニコニコするのは、吾々の謂ふ真のニコニコ主義ではない」


「私はそれまでゴツゴツした所謂圭角のとれない人間であつたが、学校を卒(お)へて世間へ出てみるとなかなかさういふ風では世渡りが出来ない」


「私はこの大黒様のニコニコしたお顔を一目見るなり、ハハアこの主義だな、と直感したのである」


「このニコニコ主義が広く天下にひろがつたならば個人も富み国家も富み一段と美しい人生がこの地上に築かれるであらう」




……おおおおおおおおなんだか良く分かりませんが、とにかくすげぇ自信だっ!
彼はたぶん、『ニコニコ風景図鑑』に収められているような平和な風景を愛し、そして子どものように純粋な笑顔を大切にする人物だったのでしょう。


この写真集が発売されたのは、昭和6年(1931)。
すなわち皆様ご存じの満州事変イヤーにおけることであり、以後の大日本帝国はキリッとシリアスな局面に突入していくわけであり、ニコニコしている余裕を急速に失っていくわけですが……

そんな時勢に生きながら!

財界の有名人でもある、牧野は!

あえて!


「いいや、ニコニコこそが個人と国家を富ませる手段なのぢや!」


と、不思議かつパワフルな言葉を言い放ったのでした。

あー、マジ惚れちゃいそうだぜ(本日2回目)!




なお『ニコニコ風景図鑑』は、流石に大銀行家の作った本だけあって、ちゃっかりと貯金を勧めるページも満載です。
その中でも特に「躁」のエネルギーに満ちているのが、この1ページ!




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いやー……なんと申しますか、こりゃ……


契約プロフェッショナルのインキュベーターさんすら「わわわわけが分からないよ!」と逃げ出すこと必至の、強引さ!

一代で成り上がった大銀行家の商魂と、世の中をまばゆい照らさんとする能天気エネルギーとがせめぎ合い、結果発生したニコニコ・ビッグバン!



いやあ、うさん臭えええぇぇぇぇぇぇ!




……それでも当方、この強迫的なまでにニコニコニコニコと押し付けがましい一冊を、どうしても嫌いにはなれないのです。


ただでさえ終わりなき構造不況に陥って疲弊していたところに、トドメとばかりの凶悪大地震。
それがもたらした甚大な被害と、それに追随して国土を覆う「お悔み」ムードと「自粛」モード。


日本中から笑顔が消えて行く一方の昨今、時々はかくも「無駄に熱い」先人のバイタリティーに触れ、そして例えカラ元気でも明るい明日を想像し、頬をフッと緩めてみるのは……


決して無駄なことではありますまいぞ、うん。

だってこのまま湿っぽい空気ばかりが蔓延したら、それこそ復興へのモチベーションはダダ下がりでさあな!


もちろん、近しい人の命や住み慣れた家など、大切なものを失くしてしまった人々の悲しみが少しでも和らぐまでには、まだまだ時間がかかるだろうことは承知しております。


しかし一方、そういった方々および荒廃した土地を支えるだけの余力がある者は……

今こそ、なけなしの希望を炸裂させる時ぞ!


大将こんな時こそ馬鹿みたいにニコニコしてゐようぜ!







追伸。

今回の記事のタイトルの元ネタが分かった人には、イエローギアーズ入隊の資格を与えます。





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by hihonsyudo | 2011-04-04 23:22 | 日乗 | Trackback | Comments(0)