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秘本衆道会
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あやしき家持

奈良時代を代表する歌人と言えば、まず真っ先に挙げられるのが大伴家持(718-785)ですね。

『万葉集』に収められた全4516首のうち、家持の作品は473首にも及びます。

また、他の人から家持に向けて捧げられた歌も多数収録されており、当時の歌壇におけるボス的な存在だったことをうかがわせます。

っつーか、『万葉集』を編纂したのは家持その人だと言われてるんですけどね。


あ、名前を「イエモチ」と読む人がいますが、「ヤカモチ」が正しいですよ念のため。


そんな「ミスター和歌」の家持さん、どうにも腐的に深読みしたくなる歌をいくつか遺しています。

特に『万葉集』の第四巻、つまり「相聞(したしみ)」をテーマとする歌を集めた巻がヤバい。



まず、「大伴宿禰家持が交遊(とも)と久しく別るる歌」として紹介されている三首。



けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ


中々に絶ゆとし言はばかくばかり生(いき)の緒にして吾(あ)が恋ひめやも


思ふらむ人にあらなくにねもごろに心尽して恋ふる我かも


それぞれ意訳すると、


「たぶん、何者かに私の悪口を吹き込まれたのだろうな。いくら待っても、君が来てくれない」


「もう別れたいのなら、はっきりサヨウナラと言ってくれ! こんなダラダラした関係を続けてるせいで、愛しさのあまり息が詰まりそうだ」


「君にとって、私の存在などアウトオブ眼中だということは知っている。それでも、君のことが忘れられないんだ大好きなんだああああああああ!」



ええと……これ、本当にただの「交遊」関係の歌?

どう見ても修羅場っつーか、ドロドロした昼ドラ的な情景が目に浮かんでしまうんですが!






あと、家持が「藤原久須麻呂」なる人物に贈った歌として、以下の五首があります。



春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも


夢のごと思ほゆるかも愛(は)しきやし君が使の数多(まね)く通へば


うら若み花咲き難き梅を植ゑて人の言しげみ思ひそ吾(あ)がする


心ぐく思ほゆるかも春霞たな引く時に言の通へば


春風の音にし出なば在りさりて今ならずとも君がまにまに


意訳。


「春雨はますます降りしきっているが、梅の花はまだ咲かない。木が若すぎるせいだろうか」


「まるで夢のようだ! 愛しくてたまらない君が、こんなにも頻繁に使者を送ってくるなんて」


「まだ若く、咲く時期に至らない梅を植えた。人の噂がウザくて、悩み中」


「なんかモヤモヤした気分になるなあ。春霞がたなびく頃に便りをもらうと」


「今すぐと言うわけにはいかない。が、もし春風に乗って噂が広まり、この関係が世間に知られるようになったなら。その時は、君の思うがままにすればいい」



『岩波古典文学体系』では、第一首と第三首に出てくる「若い梅」=「家持の娘」だという説をとっています。

つまり「お宅のお嬢さんを僕に下さい!」と頭を下げてきた久須麻呂に対し、「いやあ、ウチの子はまだ適齢期じゃないよ?」と、やんわりお断りの言葉をつきつけている……みたいな解釈でしょうか。


ぬう、個人的にゃあんまりしっくりしない説だなあ。

だいたい第二首で「愛しきやし君」という言い方をしていますが、これは最上級の好意表現です。

もう、好きで好きでしょうがねぇ!っつー感じ。

しかも、向こうから使者が来ることを「夢のごと思ほるかも」とまで言っている。

娘を嫁がせる気になれない相手に、ここまでベタベタしたご機嫌取りをする必要があるのでしょうか?


801脳の持ち主としては、やっぱりここで「家持×久須麻呂」フラグを立てざるを得ない。


そして江戸時代にも、私と同様の考えを持つ大学者がいた!


その名は契沖(1640-1701)!


彼は自著『万葉代匠記』の中で、「久須麻呂が美少年だったから、家持が惚れちまったんだろ常考」という旨を述べています。

久須麻呂が本当に美少年だったという証拠はどこにもないのですが、とにかく万葉集研究の第一人者(当時)がそう言っているのです。

乙女ローダー(road+er)なら無条件で信じるしかない!





ま、家持は異性相手にもラヴい歌を詠みまくってるんですけどね。

とりあえず、ここでは「両刀!」っつーことで(勝手に)結論とします。







年内における弊ブログの更新は、以上で最後になります。

ちと早い気もしますが、『万葉集』のラストを〆る家持の歌を引用して、来年が良い年になるよう祈りたく。


新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)


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# by hihonsyudo | 2008-12-26 20:45 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
さらにディープな知識を求めて

個人的ブックマークです。

突発的に増えたり減ったりします。



☆教養 


 ○国史国文同人検索


 ○梅色夜話


 ○裏長屋


 ○吟画亭ぶろぐ 


 ○ショタやおい雑記


 ○古典的奈良漬


 ○まさに外宮!  


 ○メディアコンテンツ研究会



☆創作(小説)


 ○小説家サー・トーマスの隠された秘密の小屋



☆創作(イラスト・漫画)


 ○怪作戦


 ○湯けむり金魚



☆同人誌印刷


 ○ポプルス


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# by hihonsyudo | 2008-12-18 21:35 | リンク集 | Trackback | Comments(0)
いにしえローション

江戸時代の男色本を読んでいると、しょっちゅう「通和散」なる単語に出会います。
何のことかと言えば、ずばり潤滑剤のことです。


肛門という部位は、出口であって入口ではない。
よって内部のモノを外へ放出するのは易くとも、逆に外部から欲棒をズブリ突っ込むなんて所業は、構造上なかなかに難しい。
そこで発明されたのが、件の「通和散」というわけ。
いつ頃から存在するものなのかは不勉強にして知りませんが、とにかく17世紀の前半頃には、すでに「合体の友」として広く愛用されていたようです。


当時のエロ教養本『枕文庫』によれば、その製法は以下の通り。



「鶏卵十ヶ但し黄身を去る。葛粉十匁、右にふのり(注・障子張りなどに使われる糊の一種)を加えすこし濃くしき、紙へのべ、いくへんもいくへんも干ては付るなり」



つまり、ヌルヌルした材料ばかりを混ぜ合わせてドロドロした液体をつくり、それを濃い目に漉して、さらに紙に塗っては乾かすという作業を何度も繰り返すわけです。
ぬう、なかなか手間がかかる。


ちなみに使い方は……



「紙を噛み味へば糊落ちて口中に満ちるなり」



唾と一緒に混ぜ合わせれば、天然成分100パーセントのローションに早代わり!
まったく、昔の人の知恵はすげぇや!
最初にこれを作った人は相当のヒマ人……もとい発明の天才ですね。
ものづくり民族ジャパニーズの面目躍如、と言ったところか。






もののついで。
漢名を「黄蜀葵」という植物をご存知でしょうか?
根から糊状の液体が取れることから、日本じゃ「トロロアオイ」と名付けられました。
で、そのトロロアオイは別名を「通和散」とも言うのですが……

どうしてそう呼ばれるようになったのかは、まあ想像がつきますよね?


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# by hihonsyudo | 2008-12-08 22:43 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
スキャンダラス☆平安京

『古事談』って本がありまして。

以下、wikipedia『古事談』項 より解説を引用します。



天皇を始めとする貴人に関しても憚らずその秘事を暴き、正史とは別世界の人間性あふれる王朝史を展開している。あまりな醜聞暴露に恐れをなしたためか、称徳 と道鏡 、宇多 と京極御息所 、花山 と馬内侍らの淫猥な説話を削った略本もある。天皇・貴族・僧の世界の珍談・秘話集。



と、いうわけで大変に面白い内容。

もちろん、男色関係のエピソードもいくつか載ってます。

例えば源長季(ながすえ)という人物については、



長季は宇治殿の若気なり



だと断言しております。

あ、「宇治殿」ってのは藤原道長の子である頼道のことで、「若気(にやけ)」とはつまり、えーとアレだアレ、実に仲睦まじい関係だったってことですね。


また、同じ源氏の隆国は、後冷泉天皇のご寵愛を受けており……



隆国卿、頭として、御装束に奉仕す。先に主上の御玉茎を探り奉るに、主上、隆国の冠を打ち落とさしめ給ふ。敢へて事と為さずしてもとどりを放ちて候ふ。是れ毎度のことなり。


聞きましたか奥さん!

天皇が着替える時にはいつも傍に居て、しかも「御玉茎を探り奉る」ほどの仲だったんですってよムホホホ!

また、天皇に「冠を打ち落と」されたとも書いてありますが、これまたかなりヤバい戯れ方です。

当時の貴族にとって、人前で冠を取って髷を見せることは、とんでもなく恥ずかしいこととされていたのですから(今で言うなら、パンツを脱がされて下半身を露出するようなもの)。

一種の羞恥プレイですかね?



平安中期~後期にかけ、宮中の風紀は乱れに乱れました。

貴族たちはデカダンな生活に溺れ、妖しいスキャンダルが毎日のように飛び交う始末。

その結果として生まれた『古事談』は、当方お気に入りの一冊なんであります。

やんごとなき御方だってにんげんだもの、ホモ行為にだって及ぶさ!



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# by hihonsyudo | 2008-11-23 21:17 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
松尾芭蕉ホモ説

『悪党芭蕉』なる本を書いた嵐山光三郎をはじめ、生涯通じて独身だった俳諧マスターに対し「そういう疑惑」を寄せる御仁は結構多いようで。

そりゃまあ、文学的才能あふれる若い衆を周囲にはべらせ、さらに男弟子と二人連れで長い旅に出ちゃうような人には、池袋系オタならずとも腐った期待を抱かずにはいられないのかもしれませんな。


しかし、そいつぁ所詮は推論の上に成り立っている説。

実際のところどうだったのかについては、タイムマシンでも発明されない限り確かめようのない歴史のミステリーなんであります。


ただ。

芭蕉が30代前半の頃に出した処女句集『貝おほい』に、以下のような一作が収められているというのも事実でして。



我も昔は衆道好きのひが耳にや

(注:「ひが耳」とは「ひがみ=僻み」の意)



芭蕉の生きた17世紀の日本では、一部に「男が(性的な意味で)男に惚れる」ことを美徳とする気風が蔓延していました。

また、10代の少年が色を売る施設も多く在りました。

よって風流人たる芭蕉が、一時の興味関心あるいは気の迷いからショタ趣味に走っていた可能性は十分に考えられます。


「あはれ」の美学を追求する若き日の俳聖が、ひと時の浪漫を求めて陰間茶屋の門をくぐる……


そんなワンシーンを勝手に妄想することも、歴史・古典を学ぶ楽しみのひとつです(断言)!




余談。

芭蕉の師である北村季吟は、男同士の恋愛歌ばかりを集めた『岩つつじ』という本を編纂しています。



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# by hihonsyudo | 2008-11-08 22:33 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)