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秘本衆道会
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ミソジニー過激派の弁

「異性愛」と「同性愛」。


はてさて、どっちが真実の愛なりや?


そんな、どーでもいいような問題について真面目に議論している古典の話をば。


男女二色の優劣論として特に有名なものに、偉大なる井原西鶴が書いた『男色大鑑』があります。


刊行は貞享四年(1687)。


普通の公立図書館でも、西鶴全集の置いてある棚に赴けば、かなりの高確率で見つけることができると思います。


その序文で、西鶴は




「なんぞ下髪(さげかみ)のむかし、当流の投島田、梅花の油くさき浮世風にしなえる柳の腰、紅の湯具、あたら眼を汚しぬ。


 是等は美兒人のなき国の事欠ける、隠居の親仁の玩びのたぐひなるべし。


 血気壮の時、詞(ことば)を交はすべきものにあらず。


 総て若道の有り難き門に入る事おそし」



なんてことを述べています。


大意を訳するなら、




「チャラチャラしたファッションの女に欲情するなんて、ダサすぎ! 


 若く元気な男なら、美少年以外に恋するのはダメゼッタイ!」




みたいな意味ですかー。



まあ西鶴という人は、これ以外にも『諸艶大鑑』とか『好色一代男』みたいに、男×女の情交を賛美する話もいっぱい書いてるんですけどね……


割と適当な文豪様であります。



まあそんな感じで、江戸期における男色本は、



「ホモは風流のたしなみ! 対してヘテロ愛は、風流を解せぬ田舎者のやること!」



という論理を好んで語っております。



先述の通り、この手の文章が乗っている本は、衆道文学史を掘り返せば次々に見つけることができます。


浅学の当方が思いつくだけでも、『田夫物語』とか、『よだれかけ』とか、『野傾友三味線』とか……


斯道に造詣の深い方なら、きっともっとたくさん挙げることができるでしょうね。



で、それらの中で、個人的にとりわけ「やべえ!」と思うのが『傾城禁短気』
です。
宝永八年(1711)の刊。


全四巻のうち、第二巻が丸ごと「ヘテロ者VSホモ者」の論争だけで占められているのですが、とにかくそこで用いられている罵倒レトリックがやべえ!




「一切の女、真なく、偽り多く、よく人を迷わし、身上をつぶさす大魔王なり。


 世に女道あるゆえに、うつけし人種つきず、喧しき赤子のこえ、両隣を難儀がらせ、(中略)老いて山の神と変じて下々を叱りまはし、腰ぬけて鬼婆々となつて嫁子をいぢり、一生めてあつかひかねて、男の難儀するは何故ぞ。


 是れ皆女道の業ならずや」


うひー。


いきなり「大魔王」とは恐れ入谷!


それどころか、「出産」という行為すら絶対悪として断罪するという……


少子化上等!



この後も「女は第一大欲ふかく」だの「内証より其の家をつぶす」だの「女色は紅粉を以て面を彩る大つくろひもの」だの、とにかくもう言いたい放題です。


対して男色は、「実あつて欲なき」だとか「若衆は天性の美形」だとかいうことで、プッシュされまくります。



それに対し、女色側も負けじと反撃をして……という具合の罵詈雑言の応酬が、B5版の本にして30ページ以上もグチグチ続く。


が。


せっかく威勢のいい文句を並べ立てたものの、最終的にホモスキー派は敗北してしまいします。


「男×男は人倫にもとる行為」だという理由、さらに「しょせん男×男の恋愛なんて、男×女の模倣にすぎないじゃねえか」というカドで。



そして、この第二巻のラストでは……



世の中からホモは一掃され、ヘテロ一色の世の中になりました!



という残念なオチが待っているのです。


こうした類の



「女は平気で嘘をつくし、強欲だから嫌いだ! でも、男はその逆だから大好きだ!」



みたいな偏見バリバリの論調は、他の男色本におけるホモヘテロ論争でも実によく使われます。


もうね、男色擁護論におけるテンプレートと言ってもいいくらい。




しかし使っている言葉の過激さという点では、『傾城禁短気』に勝るものは無いのではないでしょうか。


この一冊が、当時の江戸市民たちにどのような印象をもって受け止められたのかは分かりません。





それでも不肖当方が愚推するに……昔の日本は、「同性愛」というものに関してある程度寛大な社会だったんでしょうね。

もちろん、『男色大鑑』の序文でブチあげられたような美学が、全市民的に浸透していたとまでは言えませんけど……



『傾城禁短気』の作者は、同性愛よりも異性愛の方が上だという結論を出しました。


それはノンケ現代人の多くが、無意識のうちに「常識」として身につけている価値観です。


が、江戸の戯作者の場合は、そこに到るまでに、異性愛の問題点もまた克明にあげつらっています。


男と女の関係も、男同士の関係も、どちらも傍から見ると滑稽な点がいっぱい在るのだと、つらつら書きまくっている。


ただ頭ごなしに、「同性愛はいかんぞ、非生産的な!」とバッサリ切り捨てているわけじゃあない。




つーわけで、ヘテロ大勝利の世界を描いた『傾城禁短気』が世に出た後もなお、衆道本は数多く出版され続けました。


「開化」の時代たる19世紀がやって来るまで、この日本という国には、確かにそういう空気があったのです。





いやはや、世の中の「道徳」って何なんでしょうねぇ。


社会の「進歩」って、どういうことなんでしょうかねぇ……





12月4日・追記


『傾城禁短気』の刊年が大幅に間違っていましたので、訂正しました。


ご指摘くださった奈良漬氏に感謝申し上げます。




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# by hihonsyudo | 2009-12-02 20:41 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
ソドムの市inジャパン

日本橋は人形町。
その辺り一帯は今でこそ普通の町並みでありますが、江戸時代にゃ少年売春の聖地として殷賑を極めておりました。

中でも、葭町(よしちょう)と呼ばれていた地域はつとに有名で、数多くの古典文学にその名を残しております。

例えば、『東海道中膝栗毛』の初篇。
川崎で大名行列に行き会った弥次さんが、着物をはしょって下半身をほぼ露出したまま並ぶ奴衆を見て



「葭町新道の陰間茶屋の陰間の土用干し」



などと洒落て見せるシーンは、衆道に興味の無い人にとっても印象深いものなのではないでしょうか。





そこで気になるのは、葭町とは一体どれほどの規模を誇る売春地帯だったのか?っつーこと。

幸い、その疑問に答えてくれる資料は現存しています。


『男色細見』、別名を『菊の園』と題する書が、それです。

内容を一言で表すなら、「葭町界隈で男を買ってみたい人のためのガイドブック」となりましょうか。

ちなみに著者名は「水虎散人」とありますが、これすなわち平賀源内のペンネーム。
彼は日本を代表する知識人であると同時に重度のショタコンでもあり、他の著作……例えば『痿陰隠逸伝』や『長枕褥合戦』などで、己が葭町に通っていること、あるいはそこの美少年を贔屓にしていることをズケズケ告白しています。



そんな源内先生が、愛してやまぬ日本橋界隈を天下に紹介するべく描いた1ページを、この場を借りてちょっとだけ開陳。





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スキャナ故障中につき、携帯電話のカメラ機能を使って撮影したものゆえ、やや不鮮明な画像ですがご勘弁。

『男色細見』冒頭の凡例によれば、○印がついているのが「子供屋」で、△印が「茶屋」だそうで。
あ、「子供屋」ってのは名が表す通りの「商品」を扱っている店で、「茶屋」とは今で言うところの連れ込みラブホテルのことです。



そう……たった一本のストリート内に、ショタを売る店がこれだけひしめきあっていたのですよ。
ちなみに屋号としては、「大阪屋」とか「沢田屋」とか「山城屋」とか、それだけ聞いても何の店なのか分からないような平凡なものばかりですね。



なお、葭町のすぐ近くには「堺町」という場所もあって、『男色細見』マップを見る限りでは、そこら辺もかなりのショタエロ地帯だった模様。

また日本橋葦屋町は、いわゆるひとつの「旧吉原」であり、幕府公認のノンケ向け遊郭が数多く軒を並べていたわけですが、これまた『男色細見』によりますと、その中にも「瀧田屋」とか「金井筒屋」なんて少年を扱う店が数件混じっていたことが分かります。



いやー、なんつーか……


江戸の一角、決して広いとは言えない面積中に大量の児童虐待施設が集結し、大人と十代少年が毎日毎日ギシギシアンアンやらかしていたのかと思うと……


改めて、世界史上における本朝の特殊性が際立って見えますな!


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# by hihonsyudo | 2009-10-14 21:02 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
吉田兼好ホモ説

義務教育を受けた日本人の中で、吉田兼好の『徒然草』を知らぬ者はいないでしょう。


「つれづれなるままに……」から始まる序文。
バカ坊主in仁和寺たちの愚行。
持つべき友人は三種類、という話。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」という無常的な美学論。


上記のごときは、誰もが古典の授業で一度は読まされたはずです。
また江戸時代においても、『徒然草』は本朝を代表する名作文学としてよく知られ、そしてよく読まれていました。

兼好とは、すなわち本朝文学史上もっとも有名なエッセイストなのです。




で。
その兼好先生なんですが、実は極度の「女嫌い」だった!
という説が、大昔から囁かれています。

例えば第百七段では、



女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貧欲甚だしく、物の理を知らず。



という痛烈な罵倒を投げかけていますし、また百九十段では



妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。



なんて断言しちゃってます。



……ふむ。
……ナマモノ萌えの腐った人種であれば、こりゃ「怪しい!」と疑わずにはいられませんねぇ。
まして「衆道」が大流行していた頃、すなわち18世紀はじめの本朝においては、なおさら!




つーわけで本日、兼好法師を実際にホモ扱いしてしまった古典を紹介します。


そのタイトルは『兼好諸国物語』。

刊行は宝永三年(1706)。
巻末には「閑寿」という署名がありますが、その正体や来歴については一切不明。



この『兼好諸国物語』、どんな内容かを一口で言えば「伝記」にあたります。
吉田兼好という人物が、生まれてから死ぬまでどんな生涯を送ったのか、様々なエピソードをもとに紹介する本です。
ただし、それらのエピソードには後世の創作・想像もかなり混じっており、史学的な価値で判断するなら「いささかイマイチ」と言うほかはありません。



で、そういう作者のいい加減な傾向は、第十一章「男色を好む事」において最大級に爆発します。
以下、当該章を引用。




兼好は男の色を好みけり。

春の暮つかた、長閑(のど)やかに艶なる空に、賎しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、長閑やかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。

兼好、いとゆかしく覚えて、やややすらひて後、過ぎ侍りしが、なほ忘れがたく常に思ひ出でけり。




以上のうち、「春の暮つかた~」から「机の上に文をくりひろげて見ゐたり」までは、そのまま本家『徒然草』第四十三段からの引用です。
そこへ「兼好は男の色を好みけり」というアタマと「兼好、いとゆかしく覚えて」云々というシッポを勝手に付け足してしまったところに、『諸国物語』のキモがあります。

単なる「うがった見方」をまるで事実の如く押し通そうとする、この所業!
当方はここに、コミケ2日目の西館に渦巻いているような「腐」の精神を感じずにはいられません!









と、ここまで書いておいてなんですが、『徒然草』第三段にいわく



万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。


(中略)


さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。




つまり
「女に恋をしない男なんて、男じゃない! けれど、あんまり情熱的になるとかえって引かれてしまうので、ほどほどの清い交際をしましょう」
という意味ですね。
つーわけで一応、兼好先生はヘテロセクシュアルを全否定しているわけじゃないということも付記しております。


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# by hihonsyudo | 2009-05-23 21:20 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
2ちゃん語で読む痴情のもつれ

CUTE6に参加された方、お疲れ様でした(遅)。

イベントそのものは勿論のこと、その後に千日前で食い倒れたのも楽しゅうございました。

大阪最高!


ついでによしもとビルのジュンク堂にも寄ってみたのですが、そこで見つけた本がなかなかに面白かったので、紹介させていただきたく。



いと、バロスw―2ちゃん語で読む古典名作、名文学



まあ、サブタイトル通りの内容ですね。

同人イベントにおいて似たようなことをやっている自分としては、色々と参考になる一冊でした。

個人的には、『直江状』の煽りバリバリ文体がヒットでした。


で。

この本、ショタ的にも見逃せない内容がひとつ含まれているんですね。

それは何かと言えば、



「とある有名な戦国武将が、浮気を疑われ、しかたなく恋人(もちろん♂)に向けて書いた手紙」



です。

その具体的な内容については……まあ、現物を手にとってみてのお楽しみということで。

まあ斯道に詳しい方なら、大体の予想はついてしまうとは思いますが。


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# by hihonsyudo | 2009-03-28 23:43 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
おねショタby沙翁

本朝における耽美ばかり追うのではなく、たまには海の外にも飛び出してみましょうかい。




西洋を代表する作家と言えば、そりゃもうシェイクスピア大先生の名前が真っ先にあがります。
彼の残した37の舞台脚本は、どれをとっても秀逸なものばかり。
よって一般には「劇作家」として知られる彼ですが、一応「詩人」としての横顔も持っていたり。

しかも、ただの詩人ではありません。

もしかしたら、20世紀以前の西洋文学史においては実に珍しい「ショタコン詩人」なのかもしれないのです!
その疑惑は、『ヴィーナスとアドーニス』という長編詩において最も色濃い。


ウィキペディア 『ヴィーナスとアドーニス』項より作品のあらすじを引用させていただくと、




ヴィーナスは恋に病んでいる。馬の鞍からアドニスを持ち上げると、しつこく接吻と話を求めるが、ヴィーナスの行動も言葉もアドーニスに性欲を起こさせない。むしろ拒否する。




つまり真性ショタコン女が、潔癖な美少年を誘惑しようとして逆にフられる話です。

それでは以下、昭和9年に出された『新修シェークスピヤ全集 第三十八巻 詩篇 其一』より冒頭部分を引用して参ります。
ちなみに何故わざわざそんなカビ臭い古本を持ち出したのかと言えば……
訳者である坪内逍遥の硬質かつ古色蒼然とした文体にゃ、現代人の訳には無い「味」があると思うからです。
つーか、個人的趣味です。





韓(から)くれなゐの面(おも)わ有(も)たる太陽が、今しも
打濡める朝けに立別れしばかりなるに、薔薇色頬のアドーニスは早も狩に出でつ。

彼れは狩をこそ恋ひぬれ、恋をば蔑みぬ。

 思ひ悩めるヴィーナスは、疾く其後を追ひおて、

 打付けに憚る色もなく、斯くは言ひ寄りぬ。



「わなみよりも遥かに遥かに麗しき汝よ、

たぐひなく懐かしき夏野辺の花の司よ、

なべての女神を醜く見する、男には過ぎたる美よ、

鳩よりも白くして薔薇よりもくれなゐなり。

 『自然』も、汝を造るためには、自ら苦闘せりき。

 いひけらく、汝あらずならば、世も亦た尽きむと。



(中略)



彼の打倒れしや女神も其傍らに臥しぬ、

共に、肘と腰とをもて其身をささへつつ。

今し女神は男の頬を撫づ、男は皺ぐみて、あはや

叱り罵らむとす、女神其口を唇もて塞ぎて

 キッスして言ふ、好き心の為に打喘ぎながら、

 「叱り罵らむとせば、いつまでも此唇を開かせじ」と。






どうですか皆さん!
特に、「大人のお姉さん×男の子」というシチュをツボとする方!
流石は大文豪の筆の冴え、遥か昔の16世紀に書かれたものとは思えないほど「萌え」の要素が詰まっているとは思いませんか?


片や、まだまだ色恋沙汰に興味が湧かぬ思春期前。
元気いっぱい野の獣を追うことを至上の快楽とするヤンチャっ子!


片や、巨大ペニスを海中に投じし泡より生まれたる性愛の化身。
お色気爆発の淫らな美女!


ううむ、見事なコントラストの美ですなあ。

で、この後に続く「唇を奪う」描写も凄い。





飢ゑたる鷲の、物食はぬためにいや猛くなりて、
翼をも肉をも骨をも嘴(はし)をもて啄(つつ)きて、

満腹するか餌食のあらずなるかまでは、

翼を揺りつつ、いそがしく貪り食ふが如くに、

 その如くに、女神は額を、頬を、頤(おとがい)をキッスし、

 キッスし終れば、又、はじめに戻りてキッスす。



従はむ意(こころ)はなけれど、抗はむ術もなくて、彼れは

打あへぎつつ臥して、女神の面に息す。

女神は其湯気をうまし生餌とも喜び食みて、

神々しき潤ひよ、天福の戦(そよ)ぎよ、と呼ぶ。

 願ひけらく、あはれ、わが頬、花咲き満てる園となりて

 毎に其花どもを斯かるいみじき雨に濡らさましをと。






エ、エロい!
なんという逆レイプ!


力なく震えながら、「あ、あんっ! やめて、こんなのイヤだよお姉ちゃん!」と涙目で懇願する美少年の姿が自然と想像できてしまいますね。
そんなシチュを目の当たりにした日にゃあ、性欲をもてあました女神ならずとも心の奥底で何かが弾けてしまうと言うもの!


まあ、色々あって結局ふたりが結ばれることはないんですけど。



シェイクスピアが生きたエリザベス朝時代のイギリスは、性道徳に関して実に厳格な国でした。
ちょうど同じ頃の日本じゃ、戦国武将が可愛い小姓を囲ってウハウハ生活を送っていたわけですが……そういう嗜好は、英国の紳士淑女たちから見ればまさしく悪魔の所業です。
もし女王陛下のお膝元で「かわいい男の子をガンガン犯しまくりてぇー!」などと主張しようものなら、良俗を乱したカドで首を刎ねられても文句は言えません。
とりあえずはヘテロ間の愛を描いている『ヴィーナスとアドーニス』内においても、直接的なセックスの描写は一行とて出てきません。


しかし、そういう「寸止め」状態だからこそ輝くエロティシズムというものもまた存在いたします。

直接的な描写なくして、読者に生唾を飲ませしめる表現の妙!とでも申しますか。

15禁の本に、18禁以上のときめきを感じてしまうことって結構あるよね!みたいな。




果たしてシェイクスピアは、この一作を書くにあたりヴィーナスとアドーニスのどちらに感情移入していたのか?
同性を誘惑したかったのか、異性から誘惑されたかったのか?

ま、どっちにしろ、彼の魅せる「不健全の美学」は永遠不滅。

その中には、現代日本のショタコンをひきつける要素がたくさん埋蔵されているのです。




そんなこんなで、いわゆる「おねショタ」ジャンルの元祖はシェイクスピアです←結論!






そうそう、シェイクスピアは他にも「男×男」の香り漂う詩も遺していますね。
そのあたりのことに関しては、以下のサイト様が詳しいです。


『ソネット集』に埋め込まれた秘密





よく「人生の全てはシェイクスピアの中に詰まっている」なんてことを言いますが、さもありなん。

もしかしたら、「やおい文化の全て」でさえも……


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# by hihonsyudo | 2009-03-04 22:34 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)