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本朝における耽美ばかり追うのではなく、たまには海の外にも飛び出してみましょうかい。
西洋を代表する作家と言えば、そりゃもうシェイクスピア大先生の名前が真っ先にあがります。
彼の残した37の舞台脚本は、どれをとっても秀逸なものばかり。
よって一般には「劇作家」として知られる彼ですが、一応「詩人」としての横顔も持っていたり。
しかも、ただの詩人ではありません。
もしかしたら、20世紀以前の西洋文学史においては実に珍しい「ショタコン詩人」なのかもしれないのです!
その疑惑は、『ヴィーナスとアドーニス』という長編詩において最も色濃い。
ウィキペディア 『ヴィーナスとアドーニス』項より作品のあらすじを引用させていただくと、
ヴィーナスは恋に病んでいる。馬の鞍からアドニスを持ち上げると、しつこく接吻と話を求めるが、ヴィーナスの行動も言葉もアドーニスに性欲を起こさせない。むしろ拒否する。
つまり真性ショタコン女が、潔癖な美少年を誘惑しようとして逆にフられる話です。
それでは以下、昭和9年に出された『新修シェークスピヤ全集 第三十八巻 詩篇 其一』より冒頭部分を引用して参ります。
ちなみに何故わざわざそんなカビ臭い古本を持ち出したのかと言えば……
訳者である坪内逍遥の硬質かつ古色蒼然とした文体にゃ、現代人の訳には無い「味」があると思うからです。
つーか、個人的趣味です。
韓(から)くれなゐの面(おも)わ有(も)たる太陽が、今しも
打濡める朝けに立別れしばかりなるに、薔薇色頬のアドーニスは早も狩に出でつ。
彼れは狩をこそ恋ひぬれ、恋をば蔑みぬ。
思ひ悩めるヴィーナスは、疾く其後を追ひおて、
打付けに憚る色もなく、斯くは言ひ寄りぬ。
「わなみよりも遥かに遥かに麗しき汝よ、
たぐひなく懐かしき夏野辺の花の司よ、
なべての女神を醜く見する、男には過ぎたる美よ、
鳩よりも白くして薔薇よりもくれなゐなり。
『自然』も、汝を造るためには、自ら苦闘せりき。
いひけらく、汝あらずならば、世も亦た尽きむと。
(中略)
彼の打倒れしや女神も其傍らに臥しぬ、
共に、肘と腰とをもて其身をささへつつ。
今し女神は男の頬を撫づ、男は皺ぐみて、あはや
叱り罵らむとす、女神其口を唇もて塞ぎて
キッスして言ふ、好き心の為に打喘ぎながら、
「叱り罵らむとせば、いつまでも此唇を開かせじ」と。
どうですか皆さん!
特に、「大人のお姉さん×男の子」というシチュをツボとする方!
流石は大文豪の筆の冴え、遥か昔の16世紀に書かれたものとは思えないほど「萌え」の要素が詰まっているとは思いませんか?
片や、まだまだ色恋沙汰に興味が湧かぬ思春期前。
元気いっぱい野の獣を追うことを至上の快楽とするヤンチャっ子!
片や、巨大ペニスを海中に投じし泡より生まれたる性愛の化身。
お色気爆発の淫らな美女!
ううむ、見事なコントラストの美ですなあ。
で、この後に続く「唇を奪う」描写も凄い。
飢ゑたる鷲の、物食はぬためにいや猛くなりて、
翼をも肉をも骨をも嘴(はし)をもて啄(つつ)きて、
満腹するか餌食のあらずなるかまでは、
翼を揺りつつ、いそがしく貪り食ふが如くに、
その如くに、女神は額を、頬を、頤(おとがい)をキッスし、
キッスし終れば、又、はじめに戻りてキッスす。
従はむ意(こころ)はなけれど、抗はむ術もなくて、彼れは
打あへぎつつ臥して、女神の面に息す。
女神は其湯気をうまし生餌とも喜び食みて、
神々しき潤ひよ、天福の戦(そよ)ぎよ、と呼ぶ。
願ひけらく、あはれ、わが頬、花咲き満てる園となりて
毎に其花どもを斯かるいみじき雨に濡らさましをと。
エ、エロい!
なんという逆レイプ!
力なく震えながら、「あ、あんっ! やめて、こんなのイヤだよお姉ちゃん!」と涙目で懇願する美少年の姿が自然と想像できてしまいますね。
そんなシチュを目の当たりにした日にゃあ、性欲をもてあました女神ならずとも心の奥底で何かが弾けてしまうと言うもの!
まあ、色々あって結局ふたりが結ばれることはないんですけど。
シェイクスピアが生きたエリザベス朝時代のイギリスは、性道徳に関して実に厳格な国でした。
ちょうど同じ頃の日本じゃ、戦国武将が可愛い小姓を囲ってウハウハ生活を送っていたわけですが……そういう嗜好は、英国の紳士淑女たちから見ればまさしく悪魔の所業です。
もし女王陛下のお膝元で「かわいい男の子をガンガン犯しまくりてぇー!」などと主張しようものなら、良俗を乱したカドで首を刎ねられても文句は言えません。
とりあえずはヘテロ間の愛を描いている『ヴィーナスとアドーニス』内においても、直接的なセックスの描写は一行とて出てきません。
しかし、そういう「寸止め」状態だからこそ輝くエロティシズムというものもまた存在いたします。
直接的な描写なくして、読者に生唾を飲ませしめる表現の妙!とでも申しますか。
15禁の本に、18禁以上のときめきを感じてしまうことって結構あるよね!みたいな。
果たしてシェイクスピアは、この一作を書くにあたりヴィーナスとアドーニスのどちらに感情移入していたのか?
同性を誘惑したかったのか、異性から誘惑されたかったのか?
ま、どっちにしろ、彼の魅せる「不健全の美学」は永遠不滅。
その中には、現代日本のショタコンをひきつける要素がたくさん埋蔵されているのです。
そんなこんなで、いわゆる「おねショタ」ジャンルの元祖はシェイクスピアです←結論!
そうそう、シェイクスピアは他にも「男×男」の香り漂う詩も遺していますね。
そのあたりのことに関しては、以下のサイト様が詳しいです。
よく「人生の全てはシェイクスピアの中に詰まっている」なんてことを言いますが、さもありなん。
もしかしたら、「やおい文化の全て」でさえも……
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