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義務教育を受けた日本人の中で、吉田兼好の『徒然草』を知らぬ者はいないでしょう。
「つれづれなるままに……」から始まる序文。
バカ坊主in仁和寺たちの愚行。
持つべき友人は三種類、という話。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」という無常的な美学論。
上記のごときは、誰もが古典の授業で一度は読まされたはずです。
また江戸時代においても、『徒然草』は本朝を代表する名作文学としてよく知られ、そしてよく読まれていました。
兼好とは、すなわち本朝文学史上もっとも有名なエッセイストなのです。
で。
その兼好先生なんですが、実は極度の「女嫌い」だった!
という説が、大昔から囁かれています。
例えば第百七段では、
女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貧欲甚だしく、物の理を知らず。
という痛烈な罵倒を投げかけていますし、また百九十段では
妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。
なんて断言しちゃってます。
……ふむ。
……ナマモノ萌えの腐った人種であれば、こりゃ「怪しい!」と疑わずにはいられませんねぇ。
まして「衆道」が大流行していた頃、すなわち18世紀はじめの本朝においては、なおさら!
つーわけで本日、兼好法師を実際にホモ扱いしてしまった古典を紹介します。
そのタイトルは『兼好諸国物語』。
刊行は宝永三年(1706)。
巻末には「閑寿」という署名がありますが、その正体や来歴については一切不明。
この『兼好諸国物語』、どんな内容かを一口で言えば「伝記」にあたります。
吉田兼好という人物が、生まれてから死ぬまでどんな生涯を送ったのか、様々なエピソードをもとに紹介する本です。
ただし、それらのエピソードには後世の創作・想像もかなり混じっており、史学的な価値で判断するなら「いささかイマイチ」と言うほかはありません。
で、そういう作者のいい加減な傾向は、第十一章「男色を好む事」において最大級に爆発します。
以下、当該章を引用。
兼好は男の色を好みけり。
春の暮つかた、長閑(のど)やかに艶なる空に、賎しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、長閑やかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。
兼好、いとゆかしく覚えて、やややすらひて後、過ぎ侍りしが、なほ忘れがたく常に思ひ出でけり。
以上のうち、「春の暮つかた~」から「机の上に文をくりひろげて見ゐたり」までは、そのまま本家『徒然草』第四十三段からの引用です。
そこへ「兼好は男の色を好みけり」というアタマと「兼好、いとゆかしく覚えて」云々というシッポを勝手に付け足してしまったところに、『諸国物語』のキモがあります。
単なる「うがった見方」をまるで事実の如く押し通そうとする、この所業!
当方はここに、コミケ2日目の西館に渦巻いているような「腐」の精神を感じずにはいられません!
と、ここまで書いておいてなんですが、『徒然草』第三段にいわく
万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。
(中略)
さりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。
つまり
「女に恋をしない男なんて、男じゃない! けれど、あんまり情熱的になるとかえって引かれてしまうので、ほどほどの清い交際をしましょう」
という意味ですね。
つーわけで一応、兼好先生はヘテロセクシュアルを全否定しているわけじゃないということも付記しております。
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