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日本橋は人形町。
その辺り一帯は今でこそ普通の町並みでありますが、江戸時代にゃ少年売春の聖地として殷賑を極めておりました。
中でも、葭町(よしちょう)と呼ばれていた地域はつとに有名で、数多くの古典文学にその名を残しております。
例えば、『東海道中膝栗毛』の初篇。
川崎で大名行列に行き会った弥次さんが、着物をはしょって下半身をほぼ露出したまま並ぶ奴衆を見て
「葭町新道の陰間茶屋の陰間の土用干し」
などと洒落て見せるシーンは、衆道に興味の無い人にとっても印象深いものなのではないでしょうか。
そこで気になるのは、葭町とは一体どれほどの規模を誇る売春地帯だったのか?っつーこと。
幸い、その疑問に答えてくれる資料は現存しています。
『男色細見』、別名を『菊の園』と題する書が、それです。
内容を一言で表すなら、「葭町界隈で男を買ってみたい人のためのガイドブック」となりましょうか。
ちなみに著者名は「水虎散人」とありますが、これすなわち平賀源内のペンネーム。
彼は日本を代表する知識人であると同時に重度のショタコンでもあり、他の著作……例えば『痿陰隠逸伝』や『長枕褥合戦』などで、己が葭町に通っていること、あるいはそこの美少年を贔屓にしていることをズケズケ告白しています。
そんな源内先生が、愛してやまぬ日本橋界隈を天下に紹介するべく描いた1ページを、この場を借りてちょっとだけ開陳。
スキャナ故障中につき、携帯電話のカメラ機能を使って撮影したものゆえ、やや不鮮明な画像ですがご勘弁。
『男色細見』冒頭の凡例によれば、○印がついているのが「子供屋」で、△印が「茶屋」だそうで。
あ、「子供屋」ってのは名が表す通りの「商品」を扱っている店で、「茶屋」とは今で言うところの連れ込みラブホテルのことです。
そう……たった一本のストリート内に、ショタを売る店がこれだけひしめきあっていたのですよ。
ちなみに屋号としては、「大阪屋」とか「沢田屋」とか「山城屋」とか、それだけ聞いても何の店なのか分からないような平凡なものばかりですね。
なお、葭町のすぐ近くには「堺町」という場所もあって、『男色細見』マップを見る限りでは、そこら辺もかなりのショタエロ地帯だった模様。
また日本橋葦屋町は、いわゆるひとつの「旧吉原」であり、幕府公認のノンケ向け遊郭が数多く軒を並べていたわけですが、これまた『男色細見』によりますと、その中にも「瀧田屋」とか「金井筒屋」なんて少年を扱う店が数件混じっていたことが分かります。
いやー、なんつーか……
江戸の一角、決して広いとは言えない面積中に大量の児童虐待施設が集結し、大人と十代少年が毎日毎日ギシギシアンアンやらかしていたのかと思うと……
改めて、世界史上における本朝の特殊性が際立って見えますな!
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