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秘本衆道会
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世界に羽ばたけ! 男色将軍

17世紀のオランダ人、アルノルドゥス・モンタヌスが書いた『東インド会社遣日使節紀行』という本があります。

通称として『日本誌』とも呼ばれるそれは、タイトルの通り安土桃山~江戸初期における日本の文化・風俗について解説する内容。


1669年にオランダ国内で初版が出るや否や、大反響!

その後すぐに英語・フランス語など諸外国語にも訳され、ヨーロッパ全土で広く読まれたそうで、当時の西洋人が極東に浮かぶエキゾチック島国へ向けた興味は、並々ならぬものがあった模様。



ただし……

モンタヌス自身は実際に日本に行ったことがなく、オランダ東インド会社からのレポートや、スペイン・ポルトガルの宣教師たちによる見聞録ばかりを参考に筆を走らせたため、『日本誌』の内容には色々とおかしい点が目立ちます。



その一例。

モンタヌス先生によれば、日本人は男女ともに「セマル」と呼ばれる衣装を着ているそうです。

その特徴としては



「裾が膝より下」


「袖が広い」


「胴の周りには、巧みな刺繍を施した帯を巻く」



ということで、これはいわゆるひとつの「キモノ」のことだと思うのですが、それが一体どこで「セマル」などという謎の単語におき代わってしまったのか、全く持って謎すぎ!

また、


「婦人は外出の時、長い柄の扇を持つ」


なんてことも書いてあります。

で、その説明文に添えられた挿絵が……



世界に羽ばたけ! 男色将軍_a0267818_1223938.jpg


いやあ……何この……何?






さらに、「相撲」の絵も凄いことになっていて




世界に羽ばたけ! 男色将軍_a0267818_1223102.jpg



こんな感じ。





ううむ……なんと申しますか……






ヂパングなめんな!







と叫ばざるをえない!


やっぱ聞きかじりの知識だけでモノゴトを語るのは超危険なことであり、百聞は絶対に一見に勝てないんだなあ……と、しみじみ思います。





そんなわけで。

著者はきっと大真面目なんでしょうけど、当の日本人自体から見りゃケンカ売ってるようにしか見えない、いささか残念な書。

それが『日本誌』なんであります。




ただし、全部が全部どうしようもなく間違っとる!ってわけでもありません。


大正時代に『日本誌』を和訳した和田萬吉博士は、その内容を一応



『誇大に失するの弊』



あるものだと認めた上でなお、徳川幕府によるキリシタン弾圧の実態を



『頗る詳悉に』



調べ上げていること、および



『信長、秀吉、家康等の間に覇権の移動せし状、秀吉、秀次の確執の様等を説きて我が国に普行せる史籍以上に明快なる判断を下せる』



ことについて賛辞を送っています。



そして不肖当方もまた、和田博士に遅れる事100年ながら、この『日本誌』に盛大なるブラヴォーを捧げたいと思います。


その理由は……日本の「皇帝」である『トーショーグンサマ』なる人物は、「男色癖の持ち主」である!と、はっきり名言しているからです。


なんでも、彼は全く女性に興味を持つことができず、したがって世継ぎを作ることもできず、そのことを乳母に説教されると怒り狂ったとか。



「トーショーグンサマ」すなわち「当将軍様」、つまり「その時点での幕府のトップ」を意味する代名詞なんでしょうが、モンタヌスはそれを人名ないし固有名詞だと早とちりしてしまったようです。



ついでに言えば、日本じゃ「皇帝」と「将軍」は別物のはずなんですけど……



さておき。

「トーショーグンサマ」の系譜および彼が登場する時代を考え、さらに「男色癖」という有力すぎる情報を加味してみれば、その正体は三代将軍・家光で、まず間違いありません。


また、彼の性癖に頭を悩ませた乳母というのは、恐らく春日局のことでしょう。



……モンタヌス先生、グッジョブ!

大量のレポートの束の中から、よくぞ!日本文化の特にユニークな点を拾い上げてくださった!


何せ、幕府公式の家光伝記である『大猷院殿御実紀』(いわゆる『徳川実紀』の一部)でさえも、彼に「そういう趣味」があったことをキッチリばっちり記録していますからな!



つまり、先述の「セマル」云々などと違い、こっちはれっきとした事実!



『実紀』によれば、堀田正盛や酒井重澄といった側近たちは、小姓時代から将軍様直々の『寵遇』を受けていたそうで。


また、「風呂の中で他の小姓に抱きついた」というカドで手討ちにされた「坂部五左衛門」なる人物に至っては、もともと



『家光公へ恋慕し奉り、衆道の御知音也』



と、思いっきり断言されちゃってます!



ちなみに坂部を切った時、家光はまだ16歳。

色恋の嫉妬からカッとなり、『衆道の御知音』をブチ殺すたぁ……

「キレやすい若者」なんてぇのは古今通じて浜の真砂なんですなあ閑話休題。





とにかく、『日本誌』と『大猷院殿御実紀』の記述とを重ね合わせると、




・当時の日本の政治的トップは、同性愛者だった!


・しかも、その事実は江戸城内のみの秘密などでは決してなく、民間でも広く知られていた!




っつー素晴らしい過去が、まざまざと蘇ってまいります。

もし幕府のお偉方が、当将軍様の「趣味」をマジで秘するべき恥だと考えていたなら、そもそも史書の上に書き残したりはしなかったでしょう。

また、一時的滞在の外国人ですら風聞するほどに噂が広まることも、決して許しはしなかったでしょう。


これってつまり、当時のハイソ武家社会にゃ、「衆道」という理念が確かに息づいていたことの証左だと言えるのではないでしょうか。



いやもう調べれば調べるほどに、江戸時代とは色々とすげぇ時代だったのだなぁ……と思いますです。


腐人種のはしくれである自分ですら、これだけ驚けるんだ。

まして、当時の西洋人たちが「不思議の国ニッポン」から受けた衝撃は、計り知れないものだったに違いありません(ガセ情報も多かったけど)。



自分の生きる「今」と「ここ」から、しばし魂を遊離させ、時空を越えた旅に赴く。

当方がこうして味わっている読書の楽しみ=知らない世界を知る喜びは、モンタヌスの著を競って買った17世紀ヨーロッパ諸国民のそれと、ほぼ同一のものであったことでしょうよ。





by hihonsyudo | 2010-07-13 22:53 | 歴史・古典よもやま話
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