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秘本衆道会
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Yaroh! JAPAN

というふざけたタイトルの文章を、『メルマガクリルタイ様』 に寄稿しました。

サクッとご一読いただければ幸い!



さて、ちょいと補足。

「野郎」が「そういう意味」で使われていた時代、およびそれまでの「若衆」「野郎」へと移り行った時代の証人は数多いですが、中でも格別に有名なのは井原西鶴でありましょう。


以下、彼の著書・『男色大鑑』よりちょいと引用。



歌舞伎といふ事法度になり、太夫残らず前髪おろして、野郎になりし時は、ひらかぬ花の散ここちして、太夫本(もと)をはじめ子どもの親かたふかく嘆きし

(巻五)



「太夫」ってのは、すなわち色を売る若者のことで、「若衆」とほぼ同じ意味です。

さらに……



廿(はたち)すぐるまで前髪おきて勤めはなるまじきに、野郎なればこそ、三十四、五迄も若衆顔をして、人の懐の中へもはいる事ぞと、おかしき色の道と思はれける。

(巻五)



「野郎」ビジネスの主力は少年でしたが、中には成人してなお足を洗うことができず、若作りに必死な人もいたようで……


『男色大鑑』とは、その名の通り様々な「男×男」シチュエーションを描いた恋愛小説集であり、この大名著が江戸期の男色コンテンツにもたらした影響は計り知れません。


今や中学校の歴史教科書にも名の載る大西鶴は、ショタ売春の最流行期をリアルで体験した人であると同時に、その世相を自らの作品上にキッチリ活写していたのでした。




……『日本永代蔵』や『世間胸算用』だけじゃなくて、こういう「男色もの」の存在も学校で教えればいいのにねえ。

事実をありのまま伝えて、何が悪い!

今でこそ悪口の代表となっている「野郎」という言葉に、もう一度きらびやかな脚光を!



なんてことをツラツラ考えてしまう、秋雨の夜でございますです。


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by hihonsyudo | 2011-10-05 20:57 | 歴史・古典よもやま話 | Trackback | Comments(0)
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